2014年5月18日 星期日

搛,夾,銃,鍔,鐔,乱射,射日

 去她家,就像是回家,回媽媽家。煎一個荷包蛋,搛一塊豆腐乳、兩條醬瓜,吃著都特別香。
 ---見聞追想錄----那無形的溫暖羽翼
Sonya (Our lightning)
2007
ㄐ|ㄢ
夾取。如:用筷子搛菜。

這字很奇怪
各辭典類同
似乎只用在此例

中華6壯士 射日返6強

日本 失分 台灣 贏球 FIBA

傳說堯時后羿射落九個太陽。見淮南子˙本經。後用以比喻攻克強敵。明˙夏完淳˙大哀賦:
既追風而西捷,遂射日以東侵。






   部首 金 部首外筆畫 5 總筆畫 13
注音一式 ㄔㄨㄥˋ
通用拼音 ch ng 注音二式 ch ng

斧頭上裝柄的部分。集韻˙去聲˙送韻:「,斧穿也。」

武器名。舊式的一種槍械火器。如:「鳥」。元史˙卷一四五˙達禮麻識理傳:「糾集丁壯苗軍,火什伍相聯。」

ドイツ銃乱射、事件当時の様子が明らかに

ドイツ南部ウィネンデン(CNN) 当地の学校などで元生徒の少年(17)が銃を乱射した事件で、難を逃れた16歳生徒はCNNに対し、教室にいた生徒たちが窓から外に脱出したり、教室内部から鍵をかけるなどしていたと、当時のもようを生々しく語った。

らんしゃ 乱射


    • 乱射する fire [shoot] at random.
提供元:「EXCEED和英辞典」

「乱射」を使った用例

  • この武装犯は弁護士事務所で銃を乱射することで弁護士に対する怒りを吐き出しました。
  • The gunman vented his anger at his attorneys by shooting up their law firm.〔【参考】attorney〈米〉〕
  • コロラド州の高校で起こった銃乱射事件
  • Colorado high school shooting〈米〉〔1999年4月20日。〕
  • コロンバイン高校の生徒と教師は今日、学校での銃乱射事件としては、米国史上最悪の惨事の一つとなった事件の1周年を迎えます。
  • Students and teachers at Columbine High School today will commemorate the first anniversary of one of the worst school shootings in U.S. history.
  • バージニア工科大学銃乱射事件
  • the Virginia Tech shootings〔2007年4月16日に、米国バージニア州ブラックスバーグに本部を置くバージニア工科大学(Virginia Polytechnic Institute and State University)で、同大学4年生の学生が銃を乱射し、犯人を含む33名が死亡した。〕

 唐墨図鐔 寶殊齋政景


唐墨図鐔 銘 寶殊齋政景(花押)

 東龍斎清壽の高弟政景(まさかげ)の、同派らしい作風の鐔で、画題は古墨に雪を組み合わせて風雅な景色を創出したもの。あるいはこの図に、現代の我々には思いもつかない意味が隠されているのかもしれない。
 この鐔での雪は、切羽台周囲の銀布目象嵌によるフワフワとした描写で、これが六角形を呈しているところに結晶を想定していることが窺いとれる。櫃穴の形状の雪輪を変形させたもので、抑揚のある地面に金の点象嵌を散らして雪の輝きをも表現している。
 何だろうという視点の先に雪がある。面白い作品である。

鐔・鍔(つば[1])は、刀剣の柄と刀身との間に挟んで、柄を握る手を防護する部位、もしくは部具の名称である。

日本の刀剣の鍔

丸型の鍔の付いた、江戸時代の一般的な様式の打刀
日本における鐔の起源は少なくとも古墳時代まで遡ることが知られ、青銅製の「倒卵形(とうらんがた)」とよばれる鐔が、頭椎太刀(かぶつちのたち)や環頭大刀(かんとうたち)などに附帯して各地で発掘されている。鐔を古くは「つみは・津美波」といったが詰まって「つば」となった。
その後、日本独自の刀剣の様式が確立されていくに従い、鍔も重要な刀装部具として発展する。
日本の刀装の場合、太刀様式のものではなく打刀様式の“差す”刀に鍔が付くようになったのは南北朝時代から室町時代に入った時期であり、下級の足軽の用いるような普及品の刀装に至るまで刀(打刀)に大型の鍔が付くようになったのは大坂の陣の前後のことである。各種の資料や寺社の遺品からは、安土桃山時代ではまだ消耗品としての低級な刀装では鍔がないか、付いたとしても総じて小振りなものであったことが伺われる[2]

尚、日本刀の場合、鍔の目的は刀を握った手を護る、というよりは突いた際に自分の手がの方に滑らないようにするためのもので、敵の刃から自分の手を護ることは二次的なものである。鯉口を切る[3]上で利便であることや、刀身との重量のバランスを取る[4]ことが鍔の重要な役目である。

形状と材質

日本刀の鐔/鍔 各種
日本の刀装として確立された様式では、鐔の中央に穴(中心穴:なかごあな)を開け、切羽と呼ばれる二枚一組の薄い金属で挟みこんで刀身の「茎(なかご)」に差込、目釘を茎に開けた「茎穴(なかごあな[5]」を通して柄に固定し、刀身と柄を接合する。鍔の形状には丸形障泥(あおり)形木瓜(もっこう)形拳形角形喰出(はみだし)形など、大小種々ある。
儀礼用の太刀用の鍔は、「大切羽(おおせっぱ・だいせっぱ)」と呼ばれる大きな切羽[6]と材質及び色を替えた切羽[7]を何枚も組み合わせて刀装装飾の一部とするのが正式な様式であった。この鍔の様式は、後に太刀形の軍刀の様式としても用いられている。また、儀礼用太刀の代表である「飾太刀」には「唐鍔(からつば)(「分銅鍔(ふんどうつば)」とも)」と呼ばれる、大陸の刀装の様式を模したものが使われている。
材質は真鍮もしくはそれらの合金や、複数の素材を組み合わせたものが使われた。金や銀は主に鍍金(ときん)の素材として装飾に使われたが、桃山期には純度の高い金を鍔そのものの材質とした金無垢のものが登場している。また、平安期から戦国時代においては、「練革(ねりかわ)」と呼ばれるを切り出してで塗り固めたものが太刀を中心に用いられており、短刀や腰刀の中で鍔を持たないものには、「柄縁」兼用の角(牛角)製のものも多くあった。
刀剣の形式が太刀様式から抜き打ちに至便な打刀様式に変化すると、鍛鉄を極めて薄手に叩き締めた古刀匠鐔や、古甲冑師鐔と呼ばれる素朴な風合いの鉄鐔(てつつば)が作られるようになる。これは、打刀が当初軽輩の用いた武器であったために、あくまでも実用性を重視した中で刀匠・甲冑師鐔が造られたためである。この刀匠・甲冑師に施される装飾は単に鉄地を簡単な文様を繰り抜いたもので、これを影透と呼んでいる。次いで室町将軍家に従属した同朋衆の正阿弥派がデザイン性に優れた「古正阿弥」と呼称される図柄を残し地を抜いた地透鐔(じすかしつば)を創始し、桃山時代には埋忠明寿・金家・信家(桃山の三名人)などの巨匠が、それぞれ独自の境域を切り開いて芸術性の高い作品を多く遺している。
この他にも無銘ながら意匠の繊細さで知られる京透・武人の厳しい精神性を内包する尾張・金山鐔・赤銅地(しゃくどうじ)に深い彫りを施した美濃・鉄 地に真鍮を嵌入した応仁や平安城象嵌・細川三斎好みの侘び趣味の平田・林・西垣・志水などの肥後鐔・洒脱さの赤坂・龍図を得意とした越前記内派・植物を画 題として多く用いた武州伊藤派・布目象嵌の南蛮・利寿、乗意、安親そして政随などの名人を輩出した奈良派など、全国各地で多種多様な鐔が作られた。
剣豪として知られる宮本武蔵はまた数多くの鐔を考案し、自らも多くの鐔を製作したとされ、「武蔵鐔(むさしつば)」と呼ばれる左右海鼠透(さゆうなまこすかし)の図案は有名である[8]
現代において剣術居合に使われる実用を目的とした日本刀(試斬用、居合試斬用等と呼称される)やそれらの武道の練習用の模擬刀用の鍔には古式の著名な鍔の図案を模倣、もしくは借用しているものも多く、材質にはステンレスアルミといった近代合金が使われているものもある。

領頭字
解形
《說文》:“夾,持也。從大,俠二人。”王筠句讀:“大,受持者也;二人,持之者也。”林義光《文源》:“象二人相向夾一人。”
注音
釋義
(一)jia1《廣韻》古洽切,入洽見。盍部。 (1) 從左右相持。《說文‧大部》:“夾,持也。”段玉裁注:“捉物必兩手,故凡持曰夾。”《儀禮‧既夕禮》:“薦馬纓三就,入門,北面交轡,圉人夾牽之。” 《禮記‧檀弓下》:“使吾二婢子夾我。”又指合攏;緊閉。《水滸傳》第九十三回:“李逵聽了這句話,跳將起來道:‘……快夾了鳥嘴,不要放那鳥屁!’”又 夾在胳膊底下或手指等中間。羅廣斌楊益言《紅岩》第四章:“江姐……用帶著手套的中指和食指,從皮包裏夾出一份證件,隨手丟在床上。” (2)輔佐。清徐灝《說文解字注箋‧大部》:“夾,二人夾持,夾輔之義也。”唐玄應《一切經音義》卷十二引《三蒼》:“夾,輔也。”《書‧梓材》:“先王 既勤用明德,懷用夾。”孫星衍疏:“言今王爰思先王勤勞,用明德之臣來為夾輔。”《史記‧魯周公世家》:“已殺紂,周公把大鉞,召公把小鉞,以夾武王,釁社,告紂之罪于天,及殷民。”宋王安石《贈司空兼侍中文元賈魏公神道碑》:“于皇仁宗,時宋之隆。奠此中國,四夷來同。孰夾孰承﹖有宰魏公。”
(3)接近;親切。《廣雅‧釋詁三》:“夾,近也。”《書‧多方》:“爾曷不夾介乂我周王,享天之命。”
(4)在左右兩邊。唐玄應《一切經音義》卷十二:“夾,在兩邊也。”《文選‧左思〈魏都賦〉》:“長庭砥平,鐘虡夾陳。”呂向注:“夾,對;陳,布也。言相對布於長庭。”老舍《駱駝祥子》十一:“心事和留神兩氣夾攻,他覺得精神不夠用的了,想
這個便忘了那個。”
(5)從兩面加力使固定或兼使向一定方向移動。清段玉裁《說文解字注‧大部》:“夾,持也。持者,握也;握者,搤也;搤者,捉也。”《紅樓夢》第五十八回:“池中又有駕娘們行著船夾泥種藕。”
(6)兩旁有東西限制住。唐王維《桃源行》:“漁舟逐水愛山春,兩岸桃花夾古津。”
(7)夾東西的器具。如:講義夾;畫夾。《周禮‧夏官‧射鳥氏》:“矢在侯高,則以并夾取之。”鄭玄注:“并夾,鍼箭具。”唐陸羽《茶經‧四之器》: “夾,以小青竹為之,長一尺二寸,令一寸有節,節以上剖之,以炙茶也。”《資治通鑑‧唐懿宗咸通三年》:“又於禁中沒講度,自唱經,手錄梵夾。”胡三省 注:“梵夾者,梵葉經也。以板夾之,謂之梵夾。”
(8)夾人的刑具,夾棍。唐柳宗元《乞巧文》:“膠加鉗夾,誓死無遷。”《明季稗史‧烈皇小識》:“內侍遂進用夾,兩脛皆絕,昏迷不省人事。”
(9)夾雜,攙雜。如:夾帶。《古今韻會舉要‧洽韻》:“夾,兼也,相雜也。”《宋史‧食貨志下四》:“許客用私船運致,仍嚴立輒踰疆至夾帶私鹽之禁。” 《儒林外史》第二十二回:“這牛浦也就有幾個念書的人和他相與,乘著人死,也夾七夾八的來往。”清翟灝《通俗編‧天文》:“‘夾雨夾雪,無休無歇’, 見婁元禮《田家五行》。宋自遜詩:‘殘年日易晚,夾雪雨難晴。’用此。”安徽泗州戲《走娘家》:“芝
麻地裏夾綠豆,綠豆地裏種甜瓜。”
(10)江河支港可泊船的地方。宋陸游《長歌行》:“朝浮杜若洲,暮宿蘆花夾。”
(11)古代宮室夾室的省稱。《釋名‧釋宮室》:“夾室,在堂兩頭,故曰夾也。”《書‧顧命》:“西夾南嚮。敷重筍席,玄紛純,漆仍几。”孔傳:“西廂夾室之前。”清汪中《述學‧明堂通釋》:“中為大室,東為東房,西為西房;又東為東夾,又西為西夾。”
(12)古代樂律夾鐘的省稱。清江永《律呂新論‧諸弦布律表》:“一絃……夾:三尺一寸五分○十三徽。”
(13)棋類術語。《太平御覽》卷七百五十五引魏邯鄲淳《藝經》云:“夾食者,二人黃黑各十七棋,橫列於前,第四道上,甲乙迭推。二棋夾一為食棋,不得食兩,不得邊食,不由道則不行,棋入夾不取。食一棋為籌。”宋劉仲甫《其鄄木訣‧論棋訣要雜說》:“夾有虛實(有實夾,有虛夾), 打有情偽(凡打節有實打,有虛打)。”
(二)jia2《集韻》吉協切,入帖見。盍部。 (1) 劍柄。後作“鋏”。《莊子‧說劍》:“天子之劍,以燕谿石城為鋒,齊岱為鍔,晉魏為脊,周宋為鐔,韓魏為夾。”陸德明釋文:“司馬(彪)云:把也。一本作 ‘鋏’,同。”《周禮‧考工記‧桃氏》:“以其臘廣為之莖”鄭玄注引鄭司農曰:“莖謂劍夾,人所握鐔以上也。”三國魏衛覬《大饗碑》:“衝夾踰鋒,上索鹃 钫翕高。” (2)雙層的。唐李賀《秦宮詩》:“越羅夾衫迎春風,玉刻麒麟腰帶紅。”清顧祖禹《讀史方輿紀要‧河南三‧河南府》:“(洛陽)宮城東西有夾城,各三里。”《清史稿‧交通志二》:“同治七年,僅借用夾板船運米一次,旋又中止。”
(3)夾衣。後作“袷(裌)”。《徐霞客遊記‧黔遊日記一》:“晨起,已霽而寒悄頗甚,先是重夾猶寒,余以為陰風所致。”茅盾《春蠶》:“有一年也是‘清明’邊就得穿夾,後來就是蠶花‘二十四分’,自己也就在這一年成了家。”
(4)姓。《古今姓氏書辨證‧洽韻》:“夾,《漢‧藝文志》、《春秋》有《夾氏傳》十一卷。”
(三)xie2《集韻》檄頰切,入帖匣。盍部。 (1)巡行。《書‧禹貢》:“夾右碣石,入于河。”孔傳:“碣石,海畔山。禹夾行此山之右,而入河逆上。” (2)夾持。後作“挾”。《字彙》:“夾,挾持也。”《墨子‧非攻中》:“東方有莒之國者,其為國甚小,閒於大國之間,不敬事於大,大國亦弗之從而愛利。 是以東者越人夾削其壤地,西者齊人兼而有之。”《史記‧范雎蔡澤列傳》:“范雎大供具,盡請諸侯使,與坐堂上,食飲甚設。而坐須賈於堂下,置莝豆其前,令兩黥徒夾而馬食之。”《徐霞客遊記‧黔遊日記一》:“忽有四人持鏢負弩……皆勇壯兇签钫甯。似避雨,又似夾持,余甚恐。”
(3)同“俠”。《集韻‧帖韻》:“俠,或省(作夾)。”
(四)xia2 《後 漢書‧〈東夷傳〉注》音狹。通“狹”。窄狹。《字彙補‧大部》:“夾,與狹同。隘也。”《銀雀山漢墓竹簡‧孫臏兵法‧將失》:“卅日,不能以成陣,出于夾 道,可敗也。”整理者注:“夾,疑借為狹。”《馬王堆漢墓帛書‧老子甲本卷後古佚書‧明君》:“夫故先王地夾人少。”《後漢書‧東夷傳》:“(東沃沮)其 地東西夾,南北長,可折方千里。”李賢注:“夾,音狹。”清朱珔《說文栏借義證‧大部》引此云:“此以夾為今寬狹字之省借。”《徐霞客遊記‧遊天台山日 記》:“自坪頭潭行曲路中三十餘里,渡溪入山,又四五里,山口漸夾,有館曰桃花塢。”
(五)ga1 〔夾肢窩〕也作“胳肢窩”。腋下。

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