2013年8月22日 星期四

匂 ,風波 ,有為,平地風波,法性無漏路 我聞亦既多心住於有為無日不風波

 

 1. 平地風波
 注音一式 ㄆ|ㄥˊ ㄉ|ˋ ㄈㄥ ㄅㄛ
 漢語拼音 p n  d  f n  b   注音二式 p ng d  f ng b 
平地上起風波。比喻突然發生事故或變化。唐˙杜荀鶴˙將過湖南經馬當山廟因書三絕詩:「祗怕馬當山下水,不知平地有風波。」儒林外史˙第二十八回:「平地風波,天女下維摩之室,空堂宴集,雞群來皎鶴之翔。」亦作「平地波瀾」、「風波平地」。
8. 有為
 注音一式 |ㄡˇ ㄨㄟˊ
 漢語拼音 y u w i  注音二式 y u w i
有所作為。文選˙干寶˙晉紀總論:「今晉之興也,功烈於百王,事捷於三代,蓋有為以為之矣。」儒林外史˙第三十九回:「少保若肯留在帳下效力,你也可以借此報效朝廷。正是男子漢發奮有為之時!」
佛教用語。指由因緣條件所構成的現象。法性無漏路 我聞亦既多心住於有為無日不風波

 

 3. 風波
 注音一式 ㄈㄥ ㄅㄛ
 漢語拼音 f n  b   注音二式 f ng b 
 相似詞  風浪  相反詞 
被風所播蕩。文選˙李陵˙與蘇武詩三首之一:「風波一失所,各在天一隅。」
比喻人事的變故。儒林外史˙第八回:「宦海風波,實難久戀。」紅樓夢˙第九十四回:「頭裡在這裡吃飯的倒先別問去,找不成再惹出些風波來更不好了。」

におい【×匂い・香い】

I 〔香り〕a smell (▼修飾語がつかない時は悪いにおいのことが多い); an odor,((英)) an odour (▼通例悪いにおい); 〔独特のにおい・臭跡〕a scent; 〔芳香〕(a) fragrance
快い[悪い/異様な]におい
a pleasant [horrible/strange] smell
油のにおい
the smell of oil
何というひどいにおいだ
What an odor!
料理のにおいがする
I smell something cooking.
彼のシャツは汗のにおいがする
His shirt smells [reeks] of sweat. (▼reeksは強いにおい)
腐ったキャベツがいやなにおいを出している
The rotten cabbage stinks [smells bad/gives off a bad smell].
魚のにおいが手にうつった
My hands began to smell of the fish.
このばらのにおいを嗅いでごらんなさい
Smell this rose.
犬は狐のにおいを嗅ぎつけた
The dog 「caught the scent of [smelled out] a fox.
この香水が何かにおいでわかる
I can tell the name of this perfume by its scent.
においのよい花
a fragrant flower
II 〔感じ〕
この絵には世紀末のにおいがある
A mood of fin de siècle pervades this picture.
彼の身辺には汚職のにおいがただよっている
There is an aura of corruption about him.
匂い袋 a scent bag; a sachet [sæéi | -]


在五十音順以外偶爾會使用伊呂波順いろは順iroha-jun)。其來自於日本平安時代的《伊呂波歌》。這首詩歌最早見於1079年,是一種字母歌的型式,將每個音節各自使用一次:
片假名
(除去濁點)

漢字
與假名

翻譯
イロハニホヘト
チリヌルヲ
ワカヨタレソ
ツネナラム
ウヰノオクヤマ
ケフコエテ
アサキユメミシ
ヱヒモセス

色は匂へど
散りぬるを
我が世誰ぞ
常ならむ
有為の奥山
今日越えて
浅き夢見じ
酔ひもせず


花朵艷麗終散落

誰人世間能長久

今日攀越高山嶺

醉生夢死不再有


中譯:
嬌豔芬芳的花朵終將凋零殆盡,(諸行無常)
人生在世壽命亦有終了之時。(是正滅法)
越過如深山迷途的無常之道,(生滅滅己)
不復見紅塵綺夢天道醒悟於心。(寂滅為樂)


いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず



平安時代末期に流行。
『涅槃経(ねはんきょう)』の
「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」
を表すと言われる。

色は匂へど 散りぬるを
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
諸行無常(しょぎょうむじょう)

我が世誰そ 常ならむ
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)

有為の奥山 今日越えて
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
生滅滅己(しょうめつめつい)

浅き夢見じ 酔ひもせず
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
寂滅為楽(じゃくめついらく)


「今様」という形式(七五を四回繰り返す)を守り、その上、全ての仮名を1回ずつ使うという制約のもとで、これだけの意味のある歌が作られたことは、奇跡と呼んでも過言ではないでしょう。そう思いませんか?

いろはうたの他にも、同じ条件で書かれた詩があります。

あめつちうた(平安時代初期)
あめつちほしそら(天地星空)
やまかはみねたに(山川峰谷)
くもきりむろこけ(雲霧室苔)
ひといぬうへすゑ(人犬上末)
ゆわさるおふせよ(硫黄猿生ふせよ)
えのえをなれゐて(榎の枝を馴れ居て)

あめつちのうた(本居宣長作)
あめふれは ゐせきをこゆる(雨降れば 井堰を越ゆる)
みつわけて やすくもろひと(水分けて安く諸)
おりたちうゑし むらなへ(下り立ち植ゑし 群苗)
そのいねよ まほにさかえぬ(その稲よ 真穂に栄えぬ)

ひふみうた
(うたとして、祝詞として、祓詞として読む場合、それぞれに、区切る箇所が違う。以下は祝詞の場合の三五七区切り)
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほ
れーけー

今回色々調べてみまして、この「ひふみうた」に興味を持ちました。
冒頭の「ひふみよいむなやこともち」は「一二三四五六七八九十百千」のこと。
この最初の十文字が、日(火という説も)、風、水、世、井草、虫、岩魚、鳥、獣、人を表していて、暗に進化の過程を表しているのだとか、いやいや実は最初 の十文字を古代ヘブライ語で読むと、天照大神を岩戸から呼び出すことばなのだとか、数々の興味深い事例に遭遇しました。ああ、日本語は、奥が深くて楽し い。
上記3つのうたの他にも、一文字ずつ使った歌が十以上ありました。

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